2021年1月8日金曜日

農協よ、販売とともに生産のセンターたれ!

  


   古い話になるが、農産物流通の改善、とりわけ①乱高下を増幅するセリ取引に変わる相対取引の流通センターの確立、②流通ルートを短縮し農家の手取りを増やす産地直送・・・の2点については、農協系「家の光」記者を辞した昭和40年に商業界刊の「販売革新」論陣を張る一方、当時物価問題の要となっていた経済企画庁国民生活局の中西一郎氏、参議官で後日本のラルフネーダーと呼ばれた竹内直一氏ほかの関係官僚15人ほどにレクチャーもした。

 その後、全農の集配センターも3ケ所ほど?にでき、中央・地方の卸売り市場でも相対取引が主流になり、スーパーの産地直取引や農協の直売所も躍進をとげ、私もブログで50件以上の直売所関係記事も書いてきた。農協の販売面の近代化は半ば達成されてきたように思う。ところが本来基盤となるべき生産指導の方は生産資財の販売、農機具の販売といった供給面が今もって中心で、生産指導となると、篤農家と言われる人たちのサポートに依存しているように思う。 

 農協が今後も成長していくには、生産面の指導・援助ということが前面に出て、生産性の向上、戸別農家への機械や労力面のサポート、耕作放棄地の農協による耕作や新規就農者への支援・・・こうしたことが必要である。

 私が「家の光」当時の昭和30年代の後半、「農協の請負耕作」ということが一時脚光を浴びた。やはり高度成長がはじまり農業の人手不足が深刻になったからだ。今もまた、外国人の技能実習生に頼らなければならないほど人手不足は深刻。この外人すら都市では、男なら時給1,000~1,200円、女なら800~1,000円で仕事を得ており、雇う側は派遣会社に手数料を払うため実質の雇う側の負担は時給200円増しだ。技能実習生として来ている例は少なく、それでいて都市部の雇用はコロナが結着すればさらに拡大し、農業で働きたいとする外人は減る一方のはず。都市部では国別に連絡のとれるコロニーが出来ていて、助け合いも可能だし、同じ言語で語り合うこともできるのだ。 

 どだい、今の技能実習制度は出国時に100万円もの大金を取るようなブローカーが暗躍する制度・・・日本が生んだ恥じづべき制度。持続すべきでないとも言える。農協がリーダーシップをとり、きちっと各種の労務の諸規程を作り、海外の農業・農協組織と連携、一元的に受け入れ、農家に必要に応じ派遣する。場合により農協自らのファームで働いて貰う・・・こうしたシステム作りが必要だろう。そうでないと、キャベツの収穫時、小松菜の収穫時といった細切れの雇用になり、相手にとってありがたいものではない。農協の連帯機構のなかで調整すれば野菜―果物、野菜―畜産といった季節別の連続雇用の体制もでき安定雇用につながる。 

 一気に外国人の雇用に入ってしまったが、農協が生産センターの機能を持ち、季節性の高い器械は個々に持つとして、汎用性の高いトラックター、防除機械等は農協が持ち、農家の要請に沿い部分の作業を請け負っていく。特に新規就農者の支援もできるし、余剰な農協職員の配置転換にも役立つ。 

 私の第1回アメリカ旅行は昭和43年ころだが、当時からアメリカでは農薬散布請負業が幅をきかせ、訪問した日系人も都市に住みながら農薬散布業をしていた。作物の種類、時期、面積、地形などの過去のデーターを蓄積し、註文があればすぐに対応している様子だった。家庭には屋内卓球場もあって、土足で出入りできる家屋の習慣に目を見張ったものだ。 

 農村回帰の若者が増えつつある。だが荒れた休耕地などを即座に農地に換えるには多大な労力がかかる。農協で正確でかつ儲かる請負労賃と機械等の償却・運営費を割り出し、こうした新規入植者のニースに応える必要がある。体制ができれば、今よりもっと若者ほかの新規入植者が増え、過疎化に歯止めがかかるだろう。 

 最近云われるのは「環境問題、世界の経済格差の縮小を考えるとき、経済成長を望むことができず、過去のように自然と共生したなかで、成長を求めず新しい形の幸せを追求する・・・こうしたスタイルを創造する時代になる」・・・と見る人も多い。農協はこうした流れも考え、生産に根差した農協活動の領域を開拓すべきである。

 一方、若い職員が得意とするパソコンやスマホなどITも駆使し、直営の近代的ハウス経営や養鶏、養豚、酪農、肥育牛等の実経営もし、儲かる近代農業のモデルを自ら示して、真の生産センターになることも重要である。これには若い新規参入者のアイデア等を借りることも重要になる。

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