2021年1月18日月曜日

コロナ対策―「沈黙の春」作戦や1人飲食作戦!

 

 多くの人が、新たなコロナの「非常事態宣言」の効果について疑問を持っている。と同時にこれまでコロナ対策に投じた何兆円かが全く無駄になったと感じているのではないか。そんななか、感染者数は急増し医療崩壊や飲食店や観光関連業種の崩壊が確実に進んでいる。

  今までの①マスク着用、②手洗いの励行、③三蜜回避・・・をお題目のように強調するだけで良いのだろうか。また飲食店だけに犠牲を強いる抑制策でよいのだろうか。私はずばり、次の通りの対策を提案する。

  1.「沈黙の春」作戦 

食事をしながらしゃべるのが、最大の感染要素に挙げられているが、1都4県の調査だと64.0%が感染ルート不明だという。ということは、「恥ずかしくて云えない」場合もあると思うが、職場や学校に感染者が紛れていて、知らず知らずに感染している場合も多いと思われる。

 「沈黙の春」は環境問題についてのレイチェル・カールソンの小説の題名だが、

非常事態宣言を発するなら、同時に職場、学校における「不要不急」の会話をこの春に大幅カットするよう勧告すべきである。あわせて、これを機会に、国民全員で手話の勉強をするのも良いだろう。

  2.「1人飲食」作戦

飲食店の負担を軽減させるには、「昼間も1人来客歓迎、夜8時以降は1人客のみ、従業員との会話以外禁止」とすれば、飛沫感染、接触感染ともに大幅にへる。夜8時以降はテレビでも備え、1人で飲食を楽しんでもらう。友人同士数人で来店しても、店の権限で離ればなれに座ってもらう。これを守れない客は帰ってもらえるよう店に権限を付与すべきだ。合わせて店の従業者全員のPCR調査を義務づけ、陽性者は絶対に店に立てないようにする。

3.「噴霧消毒」作戦

コロナの伝染もとの武漢の映像を見ると、日本や欧米と違い、噴射機で消毒薬を広範囲に散布し、路上は泡だらけになっている。封じ込みに成功したのもこの噴霧消毒も一因と思う。推定だが次亜塩素酸水の噴霧とされている。

日本では消毒手段としてアルコールのみが強調され、次亜塩素酸水とか他の方法についてはまったく紹介されない。飲食店が苦しんでいる今日、もし次亜塩素酸水による噴霧消毒の効果があれば、加湿器式の機械で部屋全体を絶えず消毒し、飛沫感染や空気感染の一部を抑えられる。粒子は早くに机や床にも落下し除菌し接触感染も抑制される。独立法人「製品評価技術基盤機構」や経済産業省は使用に否定的だったが5回ほどの試験を得て、次亜塩素酸水がコロナに有効との結論を出した。次亜塩素酸水は最終的に水になり、人畜に無害なもの。問題はその濃度により効果が異なるなど留意点が多いことだ。

 厚生労働省のほうで、問題ない噴霧装置、次亜塩素水の認定をし、苦境にある飲食店が利用できるようにし、規準に見合った設備であれば、24時間営業も認めてよいのではないか。

 このほか設備や壁、床などを抗菌コートし、酸化チタンの光触媒作用を利用した殺菌方法もある。こうしたものを含め、厚生労働省は飲食店他がコロナ禍の中でも営業できる方策を必死に追求すべきである。

 

次亜塩素酸水の解説

 次亜塩素酸水と次亜塩素酸ソーダはまったく性質が異なり、後者はアルカリ性で、時に爆発物にも転化する。一方、次亜塩素酸水は弱酸性で、ph.5以下で、有効塩素濃度が35ppm以上だと有効な消毒薬になるとされる。また次亜塩素酸水は有機物に触れたり、紫外線に当たるとただの水に戻るので安全性が高い。だが、生成した後の保管状況、使用状況、時間の経過によって有効塩素濃度が低下し、効果が得られなくなる可能性化があり、これらに充分注意を払う必要がある。

酸化チタン・光触媒作用

 1967年に日本で発見された「世界に誇るか環境技術」とされる。酸化チタンが光に当たると空気中の酸素や水分が反応し、酸化チタンの表面で活性酸素または活性水酸基が発生し、これが酸化チタンに接触するウイルスほかの有機物を酸化分解あるいは分解を起こし、菌ほかを減少させる。


追記 令和3227日の「読売新聞」気流欄に、私の主張とほぼ一致する・・・「黙食」「個食」で飲食店支援・・・と言う自営業の向後美紀さん61才(横浜市)の投稿が掲載されている。全文を紹介すると、

 食事中の会話を控える「黙食」を呼びかけるポスターを貼る店が増え、話題となっている。食事中の飛沫が危険だということは皆、理解している。だから感染対策を徹底した飲食店で、黙って食べれば感染のリスクは低く、問題はないと思う。

 飲食店は営業時間の短縮が求められているが、補償は十分ではない。飲食店のみならず、農作物などの生産者も多大な負担を強いられている。

 黙食や1人で食べる「個食」が増えれば、飲食店の支援にもなる。コロナ禍を乗り越え、大勢で食事を楽しめる時が来る日までは、有効な手立てだ。

拡散希望

 

2021年1月8日金曜日

農協よ、販売とともに生産のセンターたれ!

  


   古い話になるが、農産物流通の改善、とりわけ①乱高下を増幅するセリ取引に変わる相対取引の流通センターの確立、②流通ルートを短縮し農家の手取りを増やす産地直送・・・の2点については、農協系「家の光」記者を辞した昭和40年に商業界刊の「販売革新」論陣を張る一方、当時物価問題の要となっていた経済企画庁国民生活局の中西一郎氏、参議官で後日本のラルフネーダーと呼ばれた竹内直一氏ほかの関係官僚15人ほどにレクチャーもした。

 その後、全農の集配センターも3ケ所ほど?にでき、中央・地方の卸売り市場でも相対取引が主流になり、スーパーの産地直取引や農協の直売所も躍進をとげ、私もブログで50件以上の直売所関係記事も書いてきた。農協の販売面の近代化は半ば達成されてきたように思う。ところが本来基盤となるべき生産指導の方は生産資財の販売、農機具の販売といった供給面が今もって中心で、生産指導となると、篤農家と言われる人たちのサポートに依存しているように思う。 

 農協が今後も成長していくには、生産面の指導・援助ということが前面に出て、生産性の向上、戸別農家への機械や労力面のサポート、耕作放棄地の農協による耕作や新規就農者への支援・・・こうしたことが必要である。

 私が「家の光」当時の昭和30年代の後半、「農協の請負耕作」ということが一時脚光を浴びた。やはり高度成長がはじまり農業の人手不足が深刻になったからだ。今もまた、外国人の技能実習生に頼らなければならないほど人手不足は深刻。この外人すら都市では、男なら時給1,000~1,200円、女なら800~1,000円で仕事を得ており、雇う側は派遣会社に手数料を払うため実質の雇う側の負担は時給200円増しだ。技能実習生として来ている例は少なく、それでいて都市部の雇用はコロナが結着すればさらに拡大し、農業で働きたいとする外人は減る一方のはず。都市部では国別に連絡のとれるコロニーが出来ていて、助け合いも可能だし、同じ言語で語り合うこともできるのだ。 

 どだい、今の技能実習制度は出国時に100万円もの大金を取るようなブローカーが暗躍する制度・・・日本が生んだ恥じづべき制度。持続すべきでないとも言える。農協がリーダーシップをとり、きちっと各種の労務の諸規程を作り、海外の農業・農協組織と連携、一元的に受け入れ、農家に必要に応じ派遣する。場合により農協自らのファームで働いて貰う・・・こうしたシステム作りが必要だろう。そうでないと、キャベツの収穫時、小松菜の収穫時といった細切れの雇用になり、相手にとってありがたいものではない。農協の連帯機構のなかで調整すれば野菜―果物、野菜―畜産といった季節別の連続雇用の体制もでき安定雇用につながる。 

 一気に外国人の雇用に入ってしまったが、農協が生産センターの機能を持ち、季節性の高い器械は個々に持つとして、汎用性の高いトラックター、防除機械等は農協が持ち、農家の要請に沿い部分の作業を請け負っていく。特に新規就農者の支援もできるし、余剰な農協職員の配置転換にも役立つ。 

 私の第1回アメリカ旅行は昭和43年ころだが、当時からアメリカでは農薬散布請負業が幅をきかせ、訪問した日系人も都市に住みながら農薬散布業をしていた。作物の種類、時期、面積、地形などの過去のデーターを蓄積し、註文があればすぐに対応している様子だった。家庭には屋内卓球場もあって、土足で出入りできる家屋の習慣に目を見張ったものだ。 

 農村回帰の若者が増えつつある。だが荒れた休耕地などを即座に農地に換えるには多大な労力がかかる。農協で正確でかつ儲かる請負労賃と機械等の償却・運営費を割り出し、こうした新規入植者のニースに応える必要がある。体制ができれば、今よりもっと若者ほかの新規入植者が増え、過疎化に歯止めがかかるだろう。 

 最近云われるのは「環境問題、世界の経済格差の縮小を考えるとき、経済成長を望むことができず、過去のように自然と共生したなかで、成長を求めず新しい形の幸せを追求する・・・こうしたスタイルを創造する時代になる」・・・と見る人も多い。農協はこうした流れも考え、生産に根差した農協活動の領域を開拓すべきである。

 一方、若い職員が得意とするパソコンやスマホなどITも駆使し、直営の近代的ハウス経営や養鶏、養豚、酪農、肥育牛等の実経営もし、儲かる近代農業のモデルを自ら示して、真の生産センターになることも重要である。これには若い新規参入者のアイデア等を借りることも重要になる。

2021年1月7日木曜日

各地にクマ出没-共存の方策を探る!

   私も5年前まではスーパーのリサーチや農業診断のため、農村部にもしばしば出かけイノシシ、シカ、カモシカなどの対策で、畑の周囲に電気牧柵を張り巡らした風景をしばしば見てきた。また長野県の中野市では、サルがトウモロコシ畑を荒らす現場も見てきた。

 だが最近は、ど う猛性を持つ熊が里山だけでなく、住宅地にもしばし出現している。北海道ではヒグマ、本州、四国、九州ではツキノワクマのようだが、これらは絶滅危惧種。本来なら丁重に山へ追い返すべきだが、北海道では2005年に578頭が殺されたという記録が出ている。

   足跡などの痕跡を一部含む目撃情報は、2016年のばあい2,422件で、うち東北が57.3%、北陸が17.8%、近畿が12.0%、北海道が4.5%、関東が2.0%、その他6.4%である。

  どうすれば住宅地に現れるようになったクマと共存できるのだろうか? 山のドングリが不作だから、クマが住宅地に出没する・・・という説に、40年以上にわたりクマの生態研究をしてきた日本ツキノワクマ研究所の米田一彦氏は懐疑的である。米田氏によれば、雄クマは雌クマの発情を促すため、時に子グマを殺す。ために雌クマは雄クマを恐れ、安全な育児場所として人間が住む場所の近くで子を産み育てる。人間の脅威を逆手にとり、雄クマの脅威から逃れ、育児が済むと森の奥に戻って行くという。 

 確かにテレビ報道を見ていると、住宅地に現れるのは子クマだったり、子連れの雌クマが多いように思う。もしこの通りだとするなら、餌場を人家から離れたところに作り、家庭の残飯をここに集め、子育て期間が終われば閉鎖とすれば、住宅地での徘徊は大幅に減少するはず。このばあい、住宅地の残飯荒らしができないよう各家庭のごみ対策も厳格に行う必要がある。 

 あわせて、住宅地寄りには定期間隔で銃声を録音したものを流す。林地に入る場合は、やはり鉄砲音とか鈴の音、他の金属音等が1分おきでも発生するものを携帯する・・・これを義務付けるなどが有効なクマ対策になるはず。なお、こうした定期的に音の出る器具の開発も急がれる。



 

 

2021年1月2日土曜日

ささやかな国際交流ーアフリカ人のヨルさんとの別れ

   私はこの5年間ほど、アルバイトで派遣会社の雑務の手伝いをしてきた。ふじみ野市周辺をエリアとした、外人ばかりの派遣会社である。主にフィリピン、ネパール、アフリカ系の人が多い。コネ、コネで応募してくるので特定の国に集中してしまうのだ。地域別にコロニーをつくって生活しており、母国語での会話ですみ、なかなか日本語を覚えようとせず、意思の疎通をはかるのが難しい。最近も車に乗せるため駅前で待ち、1人乗せたがガソリンが不足しているので、エンジンを停め暖房を掛けずにいた。すると、もう一人来るのを待つ間に降りてすたこら駅の方に行ってしまった。ガソリンが少ないのでエンジンを停車している事を説明したつもりが、ガソリンが無く車が動けないと理解したのだ。ここに紹介するヨルさんのばあい、スマホの翻訳機能を駆使し、日本語を日日理解しようとした優等生である。おかげで日本人のニューワイフも得たため、4年後のいまお別れの時を迎えた。ハピーエンドである。

 外人さんからの相談や頼まれごとの多くは、市役所や税務署ほかからの郵便物につい「何が書いてある」とか、「病院に連れっていって」「薬を貰ってきて」「灯油を買ってきて、アパートに置いておいてくれ」といったことだ。さらに「アパートを探してくれ」といったことも多い。

  ここで紹介するのは、アパート探しを手伝ったアフリカ人(もちろん黒人)のヨルさんとの4年間の交流記録である。いままで月家賃3万円以上だったのを、負担を軽くするため2万4千円の物件を見つけてあげた。1件めの紹介でまとまり、私は保証人ではなく苦情が発生したときの「連絡人」になった。ヨルさんはアフリカでもべナンという小国からきたため、同国の友人が一人もいない。だがら淋しいのか頻繁に電話してくる。ともかく真面目人間。もくもくと稼ぎ、故国に残してきた親や離婚して引き取った1人息子にきちっと仕送りすることを喜びとしていた。 

 このこともあって、アパートを紹介して直後に稼ぎを考え、アルバイト先の会社を辞めてしまった。夜の工事現場に移ったのだ。私とすれば勤め先のため役立てれば・・・とアパートの無料斡旋をしたのに、面目まるつぶれである。だがヨルさんが、稼ぎのよい(夜)の仕事に移るのは、ゴロ合わせからすれば自然のなりゆき・・・と思うことにした.

 我が社であれば、時給は男なら1,000円(女900円)が相場だ。夜間の工事現場だと8時間で10,000円・・・時給換算で1,250円。このため、月給は22~25万円にもなる。あるアフリカ系が中心のアパートをたずねたとき、ゴミ集積場にビールの空き缶が山と積んであった。夜ごと、軽い飲み会で異国生活のウサ晴らしをしているのだろう。ヨルさんはこの時間に働き、故国への仕送りを増やすのに邁進いた。4年後の今、「おかげで国に4部屋ある家が建ちました」と自慢げに語った。 

 いずれにしろ、アフリカ人でわが社に来る人の半分はピーピーで、「社長、お金を3~5万円も貸してもらえませんか」という例が多い。先日も社長は新入アフリカ人に「アパート契約のため」と10万円貸した。ヨルさんはイスラム教の敬けんな信者のためか真面目である。最初、くら寿司に連れっていた時も、スマホでイスラム教徒が食べてはいけない料理のリストをいちいち調べているのだ。発酵食品はアルコール分を含み、本来がごはっと。となれば醤油や酢もダメになる。だからヨルさんは、何を食べたか覚えてないが、2皿ほど食べただけで店を出たように思う。

 写真:島田屋住宅前のヨルさん

 休みの日には、しばしば電話をしてくるのだが、私は車で1時間も離れたところに住み、簡単には会ってあげられない。だが何かしてあげねばと、1回は三芳町の「いも街道」と、ここにある旧農家の「島田家住宅」屋敷跡や町の郷土歴史館、1回は川越の中心市街地、1回は我が地元の入間川河原やジョンソンタウン・・・を案内した。べナンやコンゴーなど西アフリカ諸国はフランス植民地だったところで、フランス語をしゃべれるしオシャレである。クリスマス・パーティーのときにはみんなダンディな服装で来る。ヨルさんも外に連れ出すときは、濃いい茶のソフト帽子、白のとっくりセーター、茶のジャケット、薄茶のズボンとカラー・コーディネートした格好で現れる。そして観光スポットを背景にハイ、ポーズと型を決め、私に写真を撮らせる。これをラインで故郷に送ることが楽しみなのだ。 

 フランス語はもちろん、英語も全くダメな私である。せっかくの観光スポットを見せても、何も説明できない。目で見て日本の一断面を知ってもらうしかない。もどかしい限りである。最初困ったのは、お金の支払だ。向こうは、私に負担させまいと充分にお金を持ってきているのだが、どのタイミングで出せば良いかわからない。だから初回はS少額だが私が全額おごるはめになった。

 外国人にとって日本的マナーの習得は難儀である。川越に行ったときは、自分で乗ってきた中古自転車を上福岡駅前に乗り捨て、私の車で出かけた。返ってくると新品に近い自転車がない。放棄自転車として回収されてしまったのだ。幸い私がいて、「これは回収されて、盗難ではないと」と直ぐ判断、交番に聞いて2kっも離れた南古谷の回収車置き場に車で取りに行き、事なきをえた。ヨルさんは別として、携帯を持っているのに、遅刻や欠勤の電話もしない、辞めるとなると電話にも出ないで、給与だけは貰いに来る・・・という例も少なくない。 

 ヨルさんは自己管理がよくできていた。「来週の日曜は休みだから遊べないか」」と必ず1週間前には電話してきたし、約束の時間もピタリと守ってくれた。近ければもっともっと日本を知ってもらうよう引き回したのだが、5回に1回も希望をかなえてあげられなかった。

 本日(令和2年12月30日)は、どうも別れの日になりそうだ。喫茶店にはいる前に、車の中で「これ、あなたと奥さんのジャンパーです」と2着入った買い物袋をくれた。 喫茶店の席につき、彼は在留証明書を取り出した。その住所は大阪府堺市となっていた。私の息子が結婚と同時に住んだところだ。結婚話は3回ほど前に会ったときにすでに聞いていたが、1回ペナンに帰って3ケ程過ごし、再度日本に帰ったらすぐ堺の彼女のところに住むそうである。彼女はもちろん日本人。しかも英語の先生とかで、今日もラブラブの2人が写った写真を見せてくれた。ハッピーエンドな別れとなり嬉しいかぎりである。しかし、コロナ禍のため計画通りの帰国、再入国ができないかもしれない。場合により、本当のグッドバイは先になるかもしれないのだ。