2016年2月16日火曜日

中小企業診断士の鏡-故・橋本文夫先生を偲ぶ

    農業経営診断を皆と体系化

   中小企業診断士の全国横断的な「一般社団法人・農業経営支援センター」という組織がある。私も発起人の1人となり、平成17年7月に結成され、全国100人ほどの会員を擁する農業コンサタントの集団である。その初代会長(当初は任意団体)であった橋本文夫先生が今年1月13日に急逝された。

橋本先生はNCR勤務15年、コンサルタント事務所運営45年を通じスーパーやショッピングセンター、直売所、レジャー施設、飲食業等の経営戦略や開店の実務指導を数百件もこなし、NCR時代には部下の教育も担当し、独立後は診断協会の静岡県支部長、診断協会の理事も歴任され、経営学や診断学の王道を歩んでこられた。実際、下記のとおり数々の表彰を受けている。

橋本先生の表彰歴

表彰年
賞名
昭和58
静岡県知事賞
平成元年
中小企業診断協会静岡県支部長賞
(支部創立30周年記念)
平成5

中小企業診断協会会長賞
平成6
中小企業庁長官賞
(中小企業基本法施行30周年記念)
平成8
中小企業庁長官賞
(全国中小企業診断大会にて)
平成10
通商産業大臣賞
(中小企業診断業務)
平成11
静岡県商工会会長賞

平成16
通商産業大臣賞
(経営診断及び助言)
平成16
静岡県宅地建物取引業協会会長賞
(会の運営と業界発展向上に貢献)
平成18
中小企業診断協会会長賞
(分科会シンポジューム)
平成19
中小企業診断協会会長賞
(中小企業の強化推進に貢献する多くの論文発表)
平成21
中小企業診断協会会長賞
(創立55周年記念・中小企業診断士の地位向上に貢献)
平成21
中小企業診断協会静岡県支部長賞
(30年以上支部の発展と地域活性化に貢献)
先生の偉大さの第1点は先見性である。「地域活性化には、農村・農業の近代化が必要」と、今日的なテーマの「地方活性化-地方創生」にいち早く着目され、農業経営診断を平成15年くらいから始めれれ、平成17年7月に農業支援センターを誕生させたことである。私は、この農業経営支援センター結成時に先生と出会い、10年半ほどご指導を受けた1人である。
写真① 中小企業診断協会会長賞の授賞式(H19年)の橋本先生

第2の偉大さは、「経営診断のノウハフは、個々のコンサルタントの頭の中にしまい込むのではなく、マニュアル化という形で誰もが利用できるようにしてこそ価値がある」と、マニュアル作成を推進したことである。支援センターの結成以前の平成16年3月に「農業経営診断実務マニュアル」~経営診断手法入門~(社団法人 中小企業診断協会出版)を、10人ほどの仲間と完成させている。決して農業分野だけでなく、副題の~ ~にあるように、あらゆる分野の診断手法に通じるものである。

支援センター結成後も、絶えず10人ほどの関心ある仲間の知見を結集し、平成18年2月に第2集の1と2、19年2月に第3集と「農業の診断・事業計画策定事例集」を完成させた。診断協会の財政支援によるものである。第1集~2・3集その他の総ページ数は1100ページほどの膨大なもので、いまも多くの支援センター会員の書架で、いざという時のバイブルとして輝きを放っている。

















写真② 先生が監修された全5巻の農業経営診断マニュアル

実際の農業者からすれば、あまり関係のないことと映るかもしれない。しかし、経営近代化には第3者の客観的なアドバイスも不可欠である。このアドバイスが不適切であれば経営は混乱し、発展するものも逆に壊れてしまう。

先生の偉大さの第3点は、じっくり聞きとり調査をし、「経営の一断面で捉えるのでなく、経営の基本理念の妥当性、財務、生産、販売、労務にわたる総合力を重視した」ーその姿勢である。全体像を正確につかみ、長所・短所、社会への適合性も見極め(swot分析)、改善点を導きだす、極めて綿密な診断である。農業者の皆さんは「費用がタダだから」と行政庁の補助金による数時間の簡易な診断・報告を望むことが多い。これでは、役立つ方向性をなかなか得られないことを知って欲しい。
写真③ 富士宮市での6次産業化研修会の生徒と共にー前列左から2人目

橋本先生は診断一般で終わらず農業部門ごとの経営・生産・販売、そして経営指標にも踏み込んでいる。マニュアル第2集-2では、稲作、麦作、野菜作、酪農、肉牛、養豚に切り込み、特に野菜作ではハウス、溶液、水耕、植物工場についてまとめ、第3集では花き、果樹、きのこのマニュアルを監修した。第4集では別の角度で、事業計画の策定を監修した。もし農業者の方で、部門別の実務マニュアルが学びたければ、当方にメールをしてほしい。部門に詳しい会員を講師として派遣することも可能である。

先生の偉大さの第4点は「企業は人なりのマンパワー」の重視である。診断の入り口で、「経営者の自己診断表」を提示していることだが、これは①経営者、②経営の基本、③販売管理、④生産管理、5労務管理・・・について10要素を上げ、5、4、3、2、1の5点法で自己採点してもらうもの。これにより経営者自らが強み・弱みを自覚し、自ら改善することを促すものである。これは申込んでいただければお送りする。 当方メール mkondou@vega.ocn.ne.jp 

 先生と一緒に関東某市の農産物直売所設置のコンペに臨んだことがある。この時、市の幹部から最後に「直売所設置に当たって、最も重視することは何か」との質問があった。先生はためらいなく「店長の人選ですよ。安易に(定年退職まじかの経験も知見もない職員を連れてくるようではだめ)」と言いきった。相手は厳しい意見に面食らったように思う。地元の浜松でレジャー施設を作る指導の過程でも、まったく同じ指摘をしたことを後で知ったが、マンパワーの大切さを極めて重視する表れである。数百店の専門店、スーパー、ショッピングセンター、飲食店、レジャー施設などの、事業計画策定だけでなく、施設設計、レイアウト、商品配置、従業員教育等の実務指導までやり、その中で得た哲学と思っていただきたい。


弔辞

平成二十八年二月二十八日   ヤマハ元会長 中小企業診断士   岸田勝彦                

去る一月二十八日、西部地区診断士同友会の北村勝利会長よりご連絡が入り「中小企業診断協会 静岡県支部長をつとめられた橋本文夫先生が一月十三日にご逝去された。ついては橋本先生の薫陶を受け、お世話になった関係者でお別れの会を開くことになりましたので、その席上岸田さんに是非とも弔辞をお願いしたい。」との事でした。

生者必滅が世のならいとは申せ、実戦的な経営コンサルタントとして、中小企業診断士として、静岡県はもとより全国的な広がりでご活躍され多くの功績を残されてこられた橋本先生の訃報に接し、私自身心の底からご尊敬申し上げていた方だけに大変落ちこんでしまいました。同時に橋本先生の持ち前の懐の大きさ、真のプロフェッショナルとしての深い見識と熱き魂にふれてこられた多くの優秀な中小企業診断士の先生方をはじめ、立派な知人友人を差しおいて私が弔辞を述べさせて頂くことの是非について瞬間的に悩んだ訳ですが、橋本先生をご尊敬申し上げていた後輩の一人として誠に僭越ながらお別れのことばを述べさせて頂くことになりました。

ところで私は中小企業診断士としては やや遅咲きの部類に入るかと存じます。つまり一九九年末、会社に於いて事業部を担当していた私は与えられた職責の大きさと、自身の実力との間にギャップを感じ、ジェネラリストとして更なるレベルアップを目指し中小企業診断士受験講座という通信教育をスタートしました。49才の時です。

一次で一回、二次で二回失敗して、後がない状況の中で必死の思いで追いこみに入っていたある日(1995年)、静岡新聞紙上に写真入りで中小企業診断協会静岡県支部長に就任された橋本先生のかなり大きな紹介記事が載っており、それを読み橋本先生の人となりとお考えに感銘を受けた

私はそれからというもの一段と受験勉強に熱が入り、翌年四月には晴れて中小企業診断士として登録されました。以後このような経緯から橋本先生の一言一句、一挙手一投足に耳を傾け注目して参りました。

私は製造業という限られた領域の中で、ビジネスパーソンとして生きて参りましたが、橋本先生は、皆様ご存知の通り地域、業界、業種のカベを超越して多分野に亘り、広く深く見識と手腕を発揮されて参りました。ショッピングセンターなど商業分野に於ける県内第一人者の枠内にとどまらず、農業経営分野に於ける経営コンサルタントの先がけとして静岡県の農業を全国トップクラスに押し上げた最も影響力を発揮した一人に数え上げられるのではないでしょうか。

ところで、現在の我国経済をとり巻く内外の環境はグローバル化の荒波の中で、益々不透明感が増し、各企業にとりましても受難の時代といわれます。このような時代背景にあって常に羅針盤の如く明確に方向性を示された橋本先生を失ったことは、日本経済並びに静岡県経済にとって大きな損失と申し上げても決して過言ではありません。又、私自身にとりましても私が思い描く経営コンサルタントとしての理想像であり、私が到達したい人生の目標像であり続けた橋本先生を今こうして失い正に痛恨の極みであります。

結びになりますが、橋本文夫先生のご冥福を本日ご列席の皆様方共々お祈り申し上げますと共に、ご遺族の皆様のご健勝とご多幸をお祈りしお別れのことばとさせて頂きます。