2016年12月7日水曜日

武蔵野の雑木林の紅葉は素晴らしい

 約300年前の元禄時代、川越の藩主の柳沢吉保がいまの川越市、所沢市、狭山市、ふじみ野市、三芳町にまたがる新田開発を行い、この地域を「三富(さんとめ)地区」と呼んだ。三富農業の特徴は、一区画の幅72メートル、長さ675メートルの超長方形の畑を挟み、ケヤキなどで囲まれた屋敷と、人工の雑木林を両端に配置。雑木林の落ち葉を堆肥とする自然循環型の農業を目標にしてきた。いまでも屋敷内の林地に高さ1.5メートル、横10メートルもの落ち葉が積まれ、切り返しで堆肥化が図られている例を見る。
 <写真>整備
された林
上2枚 下1枚 晴天の日
中2枚 雪の日



  いまある武蔵野の雑木林の多くは、このような三富地区と同様に人工的に植えられたコナラやクヌギなどの林が中心と言われている。落ち葉きには多大な労力を要し、循環型農業は急速に消えつつある。一部の落ち葉を利用し、これに牛糞等を加えて堆肥化する例は結構残っているものの、雑木林の多くは荒れ放題になっている。ボランティアの助けを借り、落ち葉きをして整備された雑木林になっている例もあるが、ごく稀れである。
 
ここでは、紅葉で実に美しい雑木林の整備された例、荒れ放題の例を紹介した。雪景色の美しさも堪能して欲しい。
<写真右>地面は荒れ
 放題
<写真下>落ち葉によ
 る堆肥作り


2016年12月2日金曜日

「陽子ファーム」(所沢市)は有機の里・・・観光農園や宅配

平均的な農家の有機挑戦

(本文は原稿用紙に縦書きされたものを、横書きに直したため、数字の書き方が従来と異なります)


 所沢市のはずれに「城(しろ)」という地名がある。すぐ南は東京の清瀬市、東は新座市に接する。地名通り、ここには一一八〇年(治承四年)ころに築かれたという伝承の「滝の城」があった。「土豪が源頼朝の挙兵に呼応して築城したもの」とされるが、正確なことは分らない。平地に聳える高さ三十メートルほどの丘の上に築かれたもの。深い堀のようなものが渦巻状に本丸跡を囲み、小規模ながら守りの堅さが伺い知れる。 

この城址の頂上部から見下ろせば、所沢市の畑作地区が拡がり、あちこちとビニールハウスの集団が銀色に輝いている。今回紹介の「陽子ファーム」のハウスも含まれる。昔は稲作も結構行われていた地区という。柳瀬川という川に沿い、一〇キロも離れた狭山丘陵下の西武球場当たりまで田圃が伸びていた。夏場は田の水が蒸発し雲が発生、たびたび雷雨に見舞われたという。

「陽子ファーム」は、推察される通り主婦の池田容子さん(六十五才)が中心になって経営する農場である。いま女性の地位向上が叫ばれ、女性起業家も急増中だが、三十五年も前から市役所に勤めるご主人の佳弘さん(六十五才)に代わって、有機無農薬農業を進めてきた有名な方だ。久しぶりに奥さんに会って、頬に張とツヤがあるのに気付いた。奥さんに「三十代の肌ですね」と本心で申し上げた。有機農産物を日々賞味している賜物と思う。
<写真>ブルーベリー
を背景に 池田容子さん
「滝の城」は石垣が見られず、土塁で固めた城だが、陽子ファームもまた「通気性、透水性にすぐれ、腐食物の粘液で団粒構造になっている豊かな土」の上に築かれ堅牢な城のように感じる。環境にやさしく、食の安全第一の農法なので、多くのボランティアや顧客に支持され、野菜のこだわりを求める市民やレストランへの宅配、観光農業、体験教室、ジャムほかの加工や販売・・・と、多方面に進出し成果をあげてきた。

屋敷は、比較的車の往来が少ない街道に面している。街道沿いの長い塀の一部には観光案内のため「ブルーベリー狩り 無農薬有機栽培野菜・果物直売」とペンキで書かれた看板が出ている。
<写真>道路に面した観光農場の看板
現在の「陽子ファーム」は本人、ご主人、息子さん、パート実質三人(主に配送業務)の陣容で、実習生も〇~二人と補助に入ることも。耕地は普通畑一・八八ヘクタール(うち果樹〇・三七ヘクタール)。この面積は北海道を除く全国平均の一・八ヘクタールと一致する。作付面積は野菜では葉菜類七〇アール、根菜類五六アール、果菜類四一アール、果物ではブルーベリー三〇アール、他果実七アールである。

屋敷続きの農地にもハウス四棟があるが、ハウスの総棟数数は十一棟である。一棟の面積は小型が九七平方メートル、大型が二八八平方メートルといったところだ。ブルーべリーなどもハウスで栽培されている。

畑は車で二十分もかかるところにまで広がり、分散しているためや、無農薬のため雑草や害虫との闘いもよせねばならず、作業は楽ではない。

容子さんは昭和二十七年に城に近い所沢市中富の農家の長女として生まれた。高校時代はバレーやソフトボールもやる活発なお嬢さん(結婚後のママさんソフトボールの県大会で優勝)。二十三歳の昭和五十年にお見合いで結婚。ご主人はクリやサトイモを作る農家の後継ぎだったが市役所勤務・・・典型的な日曜百姓の一人だった。
「農業を手伝わせないから嫁に来てくれ、と言われ結婚したものの、実際は嘘だった」
奥さんの言葉に、隣に座るご主人も笑って応じる仲の良さ。高度成長時であれば、サラリーマンの奥さんは専業主婦になることが圧倒的に多かった。正直、多くの女性の例にならい、専業主婦にあこがれていたとしても不思議でない。

このため奥さんは結婚当初、着物の着付け教室を開いていた。しばらくして義父に「農業を手伝って欲しい」と云われ、少しずつ手伝うようになった。義父が高齢であれば、手伝いを求めるのは当然といえる。初めはいやいやながら手伝いだった。昭和五十一年に長女を出産、さらに二年経ち五十三年に長男が生まれた。ところが長男の尚弘さんは生まれて間もなく、軽いアトピー性皮膚炎になる(これは二年ほど続く)。

義母も病気勝ちだったので、「家族の健康のため何かできないか」と考え、有機農業に行き着いた。だが義父からは「無農薬では野菜を作れない」と反対もされた。これまで農作業で失敗を重ねてきたことも背景にあった。これを機に、奥さんは本気で農業に、そして有機栽培に取り組むこととなった。

自然循環型エコ農業の地
有機農業を奥さんが目指すようになった理由の一つが、生まれが「中富」だったこととも関係する。約三百年前の元禄時代、川越の藩主の柳沢吉保がいまの川越市、所沢市、狭山市、ふじみ野市、三芳町にまたがる新田開発を行い、この地域を「三富(さんとめ)地区」と呼んだ。中富はその中核地区であった。三富農業の特徴は、一区画の幅七二   メートル、長さ六七五メートルの超長方形の畑を挟み、ケヤキなどで囲まれた屋敷と、人工の雑木林を両端に配置。雑木林の落ち葉を堆肥とする自然循環型の農業を目標にしてきた。いまでも屋敷内の林地に高さ一・五メートル、横十メートルもの落ち葉が積まれ、切り返しで堆肥化が図られている例を見る。奥さんは循環型農業を見て育ったのだ。

<写真>三富地区の雑木林(これは手入れのゆきとどいた例) 


JA系の「現代農業」(農文協刊)には、豊富に有機農業の記事が出ており熱心に読む一方、二年ほど経って日本有機農業研究会に加入し、勉強会にもしばしば参加した。有機農法といっても①減農薬・減化学肥料栽培、化学農薬・化学肥料の量を慣行農法の半分以下に持って行く特別栽培(各県で基準示す)、③三~二年以上の無化学肥料・農薬期間を経て国のJAS認定が可能になる有機栽培、④体に良くない硝酸態窒素を植物の体内に取り込むのを抑え、かつ省力にもつながる自然農法まである。

アトピーの原因物質は一部の食品も対象だが、実際はホコリとか化学物質が原因の場合も多い。またアトピーを治すには、緑黄色野菜が有効とされている。奥さんが目指したのはこうした野菜を中心に、果物も加えた完全な③有機栽培だった。しかし近年は堆肥作りも省力な方法を採り、雑草や作物を刈り取りそのまま放置、これで次なる雑草の発生を抑えるといった④自然農法に近い有機栽培になっているという。

堆肥の中心素材は落ち葉であり、落ち葉の給源のクヌギやコナラの雑木林は、当初約十四アールしかなかったが、友人から雑木林を借り、現在は一三〇アール(一町三反)まで拡大している。昭和五十八年ころからはボランティアの協力を得て、落ち葉きのイベントを始めた。一月に二週に分けて土・日曜を選んで二回来てもらい、赤飯、けんちん汁、野菜の煮物などで野外パーティ。好評で落ち葉きのボランティアが増え、林地の拡大が可能になった。なお翌年から、野菜の収穫体験の「芋煮会」も開催するようになった。

ところで堆肥を作る方法だが、当初は落ち葉にヌカやオカラなどを混ぜ完熟させるのが主流。オカラは県外の知人に分けてもらっていたが、近年は資源リサイクル法ができ、県外から入れることが困難に。ヌカも米作農家が減り、貴重品となり使えなくなった。

最近の堆肥の作り方は、落ち葉を集め林地に丸一年置いておくだけ。林地に住む菌が自然に発酵を助け、完熟堆肥になる。これを畑に運び三ケ月ほど置いてから散布する。「林から畑への移動が切り返しにつなり、別に切り返し作業はしてない」とのこと。

ヌカやオカラに代え最近は木材チップやもみ殻を使うが、落ち葉に混ぜ込むのでなく、畑に撒いて使えば済むそうだ。また輪作を採用。ソルゴーや小麦を植え、これを鋤き込んだり、雑草や畑に残った野菜も鋤き込む。

陽子ファームはこうした対応を三十五年前から実施してきた。完全に化学肥料ゼロ、化学農薬ゼロの農業である。普通ならば「有機農産物」の有資格者だが、JASの有機認定は受けていない。「一回、認定に必要な見積もりを頼んだとこ、百万円以上でびっくりした」とのこと。多数の圃場で、多数の品目、しかも野菜と果物を作っているとなると、それぞれの検査費用が加算される。加工も別建ての計算である。陽子ファームの経営形態では、楽に通常の三~四倍も認定費用がかかってしまう。

陽子ファームの場合は、こだわり志向の生活クラブの会員個人やレストランから、「素晴らしい。分けてくれないか」と頼まれ供給が進み、あえてJAS認定をとらなくても良かった面がある。

宅配や観光園に活路
日本における有機JAS認定圃場面積は全耕地面積の〇・二%と少ない(この他有機志向の圃場が〇・一五%)。有機の面で遅れているアメリカが〇・四%だが、進んでいるイタリア八・六%、ドイツ六・一%、フランス三・六%に遠く及ばない。

消費者の皆さんに理解を得て置きたいのは、日本は多雨で湿度も高く、病気や害虫が発生しやすい。このため便利な農薬を使いたくなる。年平均雨量を見ると、日本を一〇〇%としたときアメリカ四二%、イタリア三七%、ドイツ四一%、フランス五〇%といずれも半分以下なのだ。ヨーロッパ諸国は酪農や肉牛肥育も日本以上に盛んで、牛糞や鋤き込み用にもなる牧草、麦わらなども豊富なこともある。有機栽培をしやすい。

さらに有機栽培は慣行栽培に比べ労力がかかり、売価も高くなり消費が拡大しにくい面がある。農水省の野菜十一品目の調査によれば、慣行栽培の平均一・六八倍の価格になっている。陽子ファームで、ご主人や親戚の無料報酬の労力を折り込むと、ブルーベリー栽培では、確か慣行栽培の二倍前後の労力費になったと記憶している。

いずれにしても、平均規模の農家では費用対効果を考えてJAS認定を受けず、「隠れ有機栽培」を通すケースが多い。これは問題だ。検査技術も進んでいるので、行政も新しい制度、費用を打ち出すべきである。認定費用が安くなれば、有機栽培の普及や技術革新も進み価格も下がる。所得面でエリート層に当たる人だけでなく、広く普及する。

陽子ファームは、普及しにくい現状に手をこまねいていたわけではない。安全面でのこだわりを持つ生協に加入する市民、そしてレストラン等へ販路を広げた。それだけでなく、観光農園、収穫体験13教室、ジャム・漬物・菓子等の加工と、付加価値の取れる分野に進出してきた。

計画的にキューイフルーツを栽培し始めたのは昭和五十五年で、実際にキューイの観光農園を開いたのは昭和五十八年である(これは虫害が拡がり平成十六年には閉園)。筆者は九年前に、ブルーベリーのシーズンに初めて訪問した。開園期は六月下旬から八月上旬。ハウスの対象面積一四アール。入園料一人千円+消費税で、二〇〇グラムを顧客に差し上げる仕組み。入園管理の小屋には野菜や果物を混ぜたクッキーなども多数置いてあった。このときブルーベリー栽培の苦労を十分に聞かしてくれた。

ハウス内に虫が発生する頃には、カマキリの卵(泡状)を子供さんに集めてもらい、ハウスにカマキリを増やし、害虫を食べてもらうのだ。だが鳥のセキレイが増え、カマキリの卵がなかなか手にはいらない。このためピンセットで害虫を一匹、一匹取るのだ。市役所勤めだったご主人も出勤前のひととき作業を手伝い、親戚の二人にも手伝ってもらっていた。同時に畑の野菜の作業、宅配の発送準備もあるから、人手はいくらでも不足の様子だった。

手際の良い野菜宅配体制
屋敷内に宅配の作業場もある。ここでは  週四日間、各日二人のパートが働いている。段取りが良く、ヤマト運送と提携して注文主の住所、氏名、電話等を伝票に印字してもらう。これを発送日別の引き出しに保管。当日になると取り出し、奥さんの指示で必要品目を封入する。合わせて消費者の方とのコミュニケーションを充実させるため、A4一枚に農場の近況、出来不出来の状況、今回送付の商品名(七品~九品)などを記入した簡易チラシも入れる。すべてホームページを通じ、ネット上で注文が可能になっているのも特徴。信用第一で、間違いの起きないシステムが構築されているな・・・と感心した。
<写真>野菜の宅配の作業場
現在宅配ルートに乗っている顧客は埼玉、東京、千葉、神奈川などのレストランとの契約販売が二十ケ所、一般家庭が約九十~百ケ所、計百二十か所近い。業務筋には月四回、一般家庭は週一回から月一回届ける。家庭用のセットは税・送料込み三千円である。詳しくはホームページを見るのが早道だ。

季節の野菜を豊富に揃え、珍しさを付加するため、現在では西洋菜、中国菜、伝統菜まで入れ約百種を栽培している。最初に訪問したとき、「作物ごとの栽培面積を出してくれないか」と頼むと、奥さんは約一時間掛かったと思うが、野菜五十五品、果物八品についてアール単位の面積も書き出してくれた。奥さんの頭の中には絶えず圃場ごと、季節ごとの野菜・果物の様子が刻まれているのだな・・・とこれまた敬服したものだ。

ところで国の施策として平成二十三年に農業の六次産業化がスタートした。生産の一次、加工の二次、販売の三次の総ての数字を足すと六次。三つの一体運営で付加価値をつけて農家が売るが六次産業化である。奥さんはこれをはるかに遡る平成十七年(二〇〇五年)に「陽子ファーム」の名を採用し、ジャム加工に乗り出していた。夜なべに一人で、普通の鍋を使い果物や一部野菜を煮て、これを瓶に詰める作業をしてきたのだ。魂を注入しての美味、安全なジャム作りをしていた。当時はブルーベリージャム二〇〇グラムの丸瓶が税込み七百三十五円の売り値だった。

 私はできる限り正確な原価を割りだすことに努める一方、スーパーやネット上の売価も徹底して調べ、奥さんに「原価が七百二十三円かかっています。これでは全くの赤字ですよ」と申し上げた。このあと平成十九年にはやや小規模だが、陽子ファームは敷地内に小規模な加工施設を設けた。

賢く、かつセンスもある奥さんだった。しばらく過ぎて伺うと、そこにあったのはジャムの八角瓶だった。レッテのデザインに英文字も使われ、ネーミングもジャムでなく「コンフィチュール」となっていた(これはいまジャムにもどされている)。そして瓶の容量は一四〇グラム、価格は税込み八百六十四円に生まれ代わっていた。商品化のセンスには素晴らしいものがあり、だれも驚くはず。
<写真>各種のジャム
ジャムほかの瓶詰めのアイテムも豊富だ。ジャム類はブルーベリー、いちじく、キュウイ、ルバーブ、ストロベリー、かりん、夏みかん・・・があり、総て一四〇グラムが税込み八百六十四円に統一されている。この他トマトペースト二〇〇グラムも八百六十四円、ナスのオイル漬けは大瓶一千二百九十六円である。

宅配等の注文は「陽子ファーム」のフォームページ参照

電話での商品注文は 04-2944-2681

住所:所沢市城509