2015年10月26日月曜日

ゴミ拾いボランティアの先に日本の未来が見える!

早朝、車を走らせるとあちこちでゴミ拾いのボランティアにぶつかる。まず自宅のある団地とその周辺を6時くらいから拾い回る人に出会う。団地を一周し駅に向かう方向を200mくらいまで収集エリアとしているようだ。最近知ったのだが、同じマンションの70才過ぎの方のようである。Aさんとしておこう。

1kmも行くとやはり60~70代の男性が、幹線道路の脇のゴミを拾っている。某駅近くのコンビニに毎朝のように寄るが、駅の広場のゴミ拾いを70代の婦人がされ、別に女性身障者と30~40代の婦人の方が一緒にベンチの下も覗きながらビール缶やジュース缶、タバコの吸い殻を丹念に拾っている。













写真-1 2人3脚で身障者の方も熱心にゴミ拾い

帰路につき4kmも戻ったところでは、不動産業のセンチュリー21の職員が3~4人も、総出で歩道と大通りのゴミを拾っている。また、2日ほど前には、上記の駅に郵便局のマーク入りのゼッケンを付けた20人近くの集団が、ビニール袋をそれぞれもらい、ゴミ拾いを始めたのを見た。こうした企業のささやかな社会貢献活動も広がりつつある。

 すがすがしい朝の空気を吸いながら、ささやかなボランティア活動をすることは、健康にとっても良いし、次の仕事の軽い馴らし運動にもなり、今後企業のゴミ拾いが活発化することを望みたい。

世の中には失礼な人もいて、ある人=BさんがAさんに「あんた、目立つことをしているが、どういう気持ちでしているのだ」と聞いたとか。Aさんは「国から過分な年金をもらっており、少しでも恩返ししたいからだ」と答えたという。人通りの少ない早朝に、目立たないように黙々とゴミを拾い回っている・・・この場合、Bさんのほうに心の貧しさを感じざるをえない。

 当方も団地の芝生の雑草抜きを昨年11月までは7時ころから8時ころまでの30分から1時間、こっそりと続けたものだ。せいぜい2~3人の人にしか会わず、目立たないようにしたいからである。今はアルバイトのためできず、作業袋を車に積んでおき、駐車場からの帰り道に軽く作業をするか、夕方17~18時などの夕支度の時間帯にする。ともかく、当方も含め「人目に目立つ善行」にテレを持つ人は多い。

 これが災いし、「悪行を見ながら、知らぬふり」もしてしまう。当方の団地内の公園にも夜間来て、タバコをポイ捨てして帰るとか、遊歩道を歩きながらポイ捨てする人間もいる。そして公園に10本以上の吸い殻が捨ててあるのに、誰も拾わずじまい。当方も1日知らぬふりをし、2日目に持ち返り、やっと別添のPOPを作った次第だ。
 
写真ー2 団地の公園1ケ所にこれだけの吸い殻が落ちていた
善行をするのに、あるいはボランティア活動を1、2人でするのに勇気を要するのが日本の社会である。人に注意する、異議を唱える、正論をはく・・・なども同様で、思いを素直に表現する欧米人に学ぶ必要がある。

今や所得が伸びず、重税感や介護保険料の支払の重さに悩まされている。にもかかわらず、官僚は100兆円超えの予算を平気で立案する。税収入の2倍もの額だ。これでは国は将来破滅する。また獲得した予算の後始末をしない。つまり使った予算の効果の測定、提示した目標の達成状況など国民に正確に示すことをしていない。本来なら全国紙、地方紙など2ページも使い、全予算について5回くらいで結果を公表する義務を負うべきだろう。

政治家も政治家である。予算をぶんどり、地元や応援してくれる関係企業・団体にプラスになるよう引っ張ることに汲々としている。

 官僚も政治家も、これでは1日1万円、2万円と少額ながら市町村の清掃費の支出削減に貢献しているボランティアの労に報いたことにならない。国家財政を健全化するには、大ナタをふるうわないといけない。となると、民のボランティア的協力はますます必要になる。ボランティア活動は、無料が総てなく低額・有料でもよいはず。そしてその領域は介護、病院等への車での送り迎え、住宅地警備、子供や高齢者の往来の見守り、交通整理、公的建造物の塗装(信号機や路上の手すり)、農村地域などでの歩車道の整備・・・と沢山ある。これらは、簡単な研修を受ければ多くの人が出来ることである、

福祉は増える一方の国家予算である。このため、働けるうちはボランティアとして大いに社会貢献すべきである。また働けるのに、充分な職探しをしない人がいたとしよう。こういう人には、
状況を吟味し、ボランティア活動に強制参加してもらう仕組み作りも必要と感じる。

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