2015年7月4日土曜日

「トップランナーが語る直売所の未来」-長谷川久夫氏講演録!

   これは、私が尊敬する全国直売所研究会会長の長谷川久夫が「直売所研究会地域交流プロジェクトin 東近江地域」で最近行った講演内容である。 

◎農業を産業にするという視点

   直売所研究会は10年間続けてきた。また、自分自身も50年間農業の世界に身を置いてきた。しかし、ここで今までの50年間をすっぱりと変えようと思う。インドネシアに言って疲れたので病院に行ったら、《糖尿病が原因で》このままでは命がないということ。そこでいろいろなことを考えました。まず、いままで50年間お世話になったタバコをすっぱりやめることにした。これは個人的なことだが、すべてものごとは何かをやめなければ前には進まない。 

    今、農業が、政治的にも政策的にも団体的にも個人的にも地域的にもいろいろな視点で論じられている。しかしどの視点からも農業を産業にするという視点が欠けていると思う。あえて、今日、こう言う場ですから歯に衣をつけずに話したいと思います。そうじゃないと50年間を捨てたことにならない。農林水産業が産業になっていない。こう言う地域を行政や政治が何とかしてくれると思っている人は多い。しかし、国民の税金を使っておきながら農業は一向によくならない。なぜなら、行政・政治と農業者が同じ立場に立っていないからだ。農業者は自分のことは自分でしなくてはいけない。 

◎生産ではなく経営という視点を忘れていないか

    我々は団塊の世代で、戦後の復興、国を作り、家庭を作り、地域を作ってきた。その基盤にあったものは農業であった。1961年に農業基本法が出来て農業を政策的に規模拡大しようとした。しかし、それだけじゃだめだ、直売と言う形で生きていこうという形も生まれてきた。ところが、いま、直売所は乱立している。理念も何もない。逆にほかのスーパーや売り場もいくらでもできている。例えば近江八幡駅前にイオンがあった。当然農産物も売っている。あそこで売っている農産物が、農業者を育てようとして売っているのか。あれは会社の利益のために売っている。あたりまえのことだ。 

    今、農協改革と言っているが、それは農業者が農協を活用できてないことを証明している。だから、農業者が自己主張できて自己責任が取れる場所は直売所以外にない。自分のうちなら、裸になっても文句を言われない。人のうちでやってはわいせつ物陳列罪、そのくらいの違いがあるんじゃないの。 

    なぜ、農林業が産業にならないのかと言えば、自己主張して、自己責任のとれるステージがないからだ。農業者はあらゆることを相手に任せてしまっている。そして今に至っている。人間の生活の歴史は飢餓の歴史であった。その延長線上が今にある。食べることは生きること、生きることは食べること。じゃあ食べることはどうすればいいのか?健全に健康に食べること、それを忘れている。簡単な言葉でいえば、農家の仕事をただの農業生産で落ちつけようとしてないか。農業経営の視点を忘れてないか。 

◎直売所の原点を考えよう

    もう一回、こういう社会状況の中で直売所の本当の在り方、何をめざすべきか、これを原点から考えるべきだと思う。㈱みずほが直売所を作った原点はなにか。農業では生活できないからだ。じゃあ、生活できるようにするには?ものを売るしかない。売るとい事は、自分の生産原価に基づいて販売して始めて販売だよ。相手が値段をつけて持って行くのは販売じゃない、あくまでも供出だ。そうでしょ。 

 いま、世界中の農産物の大部分は供出だよ。だから第一次産業の農業者は虐げられている。農業は命を守る、環境を守る崇高な産業だよ。にもかかわらず、なぜ、農業者は原価計算をしないのか。靴下も上着もみんな再生産のできる価格で販売されているでしょう。なぜ、農業者は原価計算しようとしないの!なぜ、再生産できる価格で販売しないの!なぜ、供出しているの!供出の反対は配給だよ。消費者は配給品を買っているのだ。だから値段が安いか、量が多いほうがよくなっているのだ。 

◎なぜ、品質競争ができないのか。

   農産物が商品とすれば、値段と量と品質だよ。なぜ、農産物だけが品質の競争が出来ないの。おかしいじゃないの!産業と言うのは製造現場が価格決定権を持つ。しかも、その商品は社会的責任を負うのだよ。そのうえで、ルール=約束事のある競争が出来て、働ける場が出来ているのが産業だよ。農林水産業にこれが出来ていますか? 

    農林水産業だけがないんだよ。こう言う仕組みを当事者が作ればいくらでも作れる。他の産業はみんなルールを当事者が作っている。何でやろうとしないの、なんで行政がやらそうとしないのか?何か都合の悪いことがあるの。何にもないでしょ。もっと考えたほうがいい。認定農業者が必要なら、作文を作って推薦するんじゃなくて、青色申告者をした人をみなそうすればいいでしょう。 

   みずから経営分析ができる青色申告と言う制度があるのだから、それをやらせれば、農業者だって能力は高いのだからできる。それをやらせないという力が働いている。農業経営ではなくて農業生産と言う視点だけで見られている。そうじゃないですか!そうではなくて、きちっと、自己主張し自己責任をとれる場所が直売所でしょう。 

◎消費者との信頼関係を結ぶには

   直売所は雨後のタケノコのようにできている。全国に2万ケ所以上になっているらしい。但しそこでは、農産物をただの生産物として売るだけで、商品として販売してない。これで、消費者が理解しますか?消費者と信頼関係が結べますか?・・・自分は結べないと思いますよ。 

   たまたまね。いま社会の中で4年前の3.11。あの東日本大震災。あれがあって食の安全性と言うことを、みんながいろいろな視点から考えるようになった。あるいは環境の在り方というのも、あの災害から学んだんじゃないですか。当然、農業、林業、水産業はどうあるべきか、ということを、今までより以上に国民は知ったんじゃないですか。 

   そういう大きな社会的なチャンスやピンチがあるのにもかかわらず、直売所が売れればいい、どうやれば売れるのか、どうしたらお客さんが来るのか、ただそれだけに一喜一憂してないだろうか。

◎食料自給率は低いが、モノは余っている

   本来直売所が求めるものは、農業をしていて生活が成り立つ人が集まればいいんでしょう。決して量を多く作ることが目的ではない。一農業者として生活が成り立てばいいんです。これを忘れているんじゃないですか。 

    去年、米がものすごい下落した。そしたら、今まで㈱みずほには、毎年600~800人の見学者が来ていたが、去年は1200人を超えた。なんでコメの値段を下げないで売れるのか、なぜ価格を維持できるのか。そんなことを聞きに1200人も来ている。 

    これは簡単なことだよ。なんの難しいことはない。そこに出荷している、販売している農業者がきちっと意識改革することだ。その上でお互いが、農業者は農業者として、消費者は消費者として、信頼関係を作り上げればいいんだよ。ものを売ることではなくて、対等の立場を作ることが信頼関係を作ることになる。今の直売所には、これが欠けていると思う。なぜできないのか・・・ 

  その理由は、いまはものが余っているからだ。食料自給率が下がっているというが、ものは余っている、足りないものなんてないよ。生産量がいくら増えたって誰も喜ばない。

   余ったものをどうするの!年間1千万トンも捨てて、誰が喜ぶの!そのお金を誰が補っているの!・・・みんな農業者だよ。だから、誰も農業をやらない。だったら、直売所という舞台で、一人一人の農業者が、農業経営者になることを目指せばいいんじゃないの。 

    今は、TTPの問題もあるし、国の流れが大きく変わる節目だし、また産業として、3年後には転作奨励金をなくし米の供出をやめるという。 

◎今がチャンスだ!

    いいチャンスじゃないの。農業者が自己主張して、自己責任のとれる時代がやってきた。そのために、一つのステージとして直売所があるわけだ。なにも3ヘクタールの畑を作ることはないよ。5反で生活ができればいいじゃないですか。20ヘクタールの米じゃなくて、3ヘクタールの米で生活が成り立てばいいんじゃないですか。 

   1kg600円の米を200円にしても3kgは食べないでしょう。国民の胃袋はどんどん小さくなっている、日本の場合は。大きくならないんだよ。小さくなっているのだから、量の競争じゃない。まさに品質の競争に入るべきでしょう。だったらそれがどこでできるのか。それは自ら作った直売所ならできるでしょう。人に作ってもらったのでは、先言ったように、たとえは悪いが、人のうちで裸になったらわいせつ物陳列罪だよ。自分の土俵ならば、お互いに信頼できれば、いくらでも自己主張できて自己責任が取れるんじゃないですか。そこにきちっとした、信頼した消費者を作るべきじゃないですか。 

◎農業は崇高な職業である

 いま農村が、限界集落とか崩壊集落とか言われている。人が集まったということは、モノがある、生活ができるから集まったんだよ。生活できなければね、限界集落になっても当たり前だよ。なんで農業者だけが、他産業からも一般国民からもいいように翻弄されてんの。 

   われわれ農業者はね。適地適作適材適所に基づいた、いきるという最も大切な食べるものをもっとも育ちやすい環境を作っている。その環境づくりをしているわれわれ農業者が、もっともっと崇高な職業に農業をすべきじゃないの。それは、人にやってもらうんじゃなくて、そのステージに上がった一人一人が意識を変えて、きちっとやるべきだと思う。 

◎与えられる喜び、便利さは「本物」か?

   小売という視点から直売所を見ると、どうしても、流れに流される。たとえば、他がこういう売り方をしている、その売り方を真似した方がいい、そんな流れが直売所にも入ってきている。そんなことはない、間違ってもないと思うよ、俺は。たとえばね、核家族になったからミニ野菜がいい、核家族になったから少量がいい、と言われている。 

   本当に消費者はそれでいいと思っているのですか。思ってないよ!カットして売るとか、少量にして売るとかしたのは売場の利益のためだけだよ。本当に消費者のことを考てそうしたんじゃないよ。売場の利益の追求のためだけだよ。例えばキャベツだって、一つ丸ごとキャベツを買って、その調理法を考えればいろいろな知恵が働く、1/4であれば25%の思考力で人間は終わるんだよ。ものを作り、環境を作る側と命を作る《料理を作る》側が、信頼関係で結びあうべきじゃないでしょうか。 

    いま社会は、与えられる喜びと便利さだけを求め、これが直売所まで入り込んでいる。俺は危険だと思うよ!やはり文化はね、創り出す喜びだよ。与えられる喜びじゃないって、便利さじゃないって!こういう社会状況の中で、直売所というステージが地域の方々にきちっと発信できる場所だと思う。これをしなければみんな大きな売場と全く同じになる。たしかに恰好はいいよ。だけど、農業者の生活が成り立たない。 

◎直売所で本当の利益を追求しよう

 だったら、直売所では本当の利益を追求してみようよ。本当の利益は売上だけじゃないよ!10年経とうが、100年経とうが変わらないものが本物だ。それは、農業で生活できること!これを目指さなければ、いま、いろんなかたちで植物工場とかあるいは世界的な仕組みの中で、農業者が組み込まれたら、まさに農業基本法以前のただの農業奴隷者で終わる。俺はそうじゃないと思う。 

    われわれはきちっとした環境を作り、その地域の中でお互いが尊敬できるような立場に立てるものを目指さなくてはいけない。今でも忘れない。3.11のあのステージに立った時、4月8日に4トン車1台の野菜を持って宮城県の避難地8か所に行った時に言われた言葉。 

    「長谷川さん、野菜持ってきてくれてありがとう、このことはうれしいよ。でも我々は悔しいんだ。」と、なぜ悔しいのか、「道具とエネルギーを失ったのが悔しい。われわれは人間なんだ。与えられる喜びではなくて、創り出す喜びが欲しいんだ」、言い方や言葉は違うがみんな同じことを言った。本当に農業者自身が、自らの生活を直売所という舞台で生活を創り上げる、もっとも大切な時期にきているのではないか。 

◎若者であれ、よそ者であれ、馬鹿者であれ

   10日間入院していろんな角度から考えた。直売所では、やはり、農業者が自己主張して、自己責任がとれる、そのうえでお互いが信頼関係を結べる。そして、きちっとした地域のサイクル、あるいは経済、あるいは人が回れる交流拠点になれる。原点は、生きるということ食べるということだ。こういうことを直売所からしっかり発信すれば、いい方向が見えてくるのではないか。 

   そのためには常に若者でなければならない、それとよそ者、馬鹿者、この3つがなくてはいけない。若者でない人ははっきり言って命を絶った方がいい。90歳になっても、100歳になっても自分の目的を持って、それにかけられる人は若者だ。15歳でも20歳でもただ流されているのは年寄りだ。自分の歴史を作ろうとせずただ流されているのは年寄りだよ。 

   それとよそ者、みんな社会はよそ者同士で成り立っている。どんな素晴らしい家族も兄弟で作ったなんて聞いたことがない。みんなよそ者同士で成り立っている。だったら農業者は、もっともっとよそ者を取り入れるべきじゃないの。客観的なものの見方をすること。俺の作ったトマトは美味い、じゃない。美味しいまずいは、相手が決めることだ。 

    それと馬鹿者。人間社会だから当然約束事で成り立っている。この約束事を直売所の中で、そのエリアの中で、いかに関係者が馬鹿正直に守れるか、ということ。法律よりも人と人の約束は力が強いものだ。それができるのが、イオンでもなくよその売場でもない、我々が自ら作った直売所だ。お互いが、若者であって、よそ者であって、馬鹿者であって、頑張っていきたいと思います。

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