2014年1月30日木曜日

経営学を教える必読の文学書「菜の花の沖」(司馬遼太郎著)!

 出版社に6年勤務したのだが、29才で脱サラし仕事と金に追われ文学書を読む機会を持ってこなかった。ごく最近になり暇も増え、市立図書館も近いため、本を読むことが多くなった。

 ところで、文学書にも経営学の専門書に勝る実践経営の本があることを発見した。その1冊が司馬遼太郎氏が1987年に出版した「菜の花の沖」である。淡路島・本洲市の貧農の家庭の長男として生まれた高田屋嘉兵衛の実在した人物の物語である(1769生~1827年没)。数々のいじめにあいながらも、瓦運搬船の船乗りからスタートし、結ばれた妻おふさの問題(網元の娘のためいじめが激しさを増す)もあって、島抜けをして兵庫県の当時「兵庫」という浜に移り、弟がすでに船乗りを務める堺屋嘉兵衛の傘下で船頭となる。 

船乗りの下働きから始め、20代にして北前船の船頭になり、持ち船も6船以上は持ち、山形の酒田―北海道の松前―函館-厚岸と回船をし、ついには将来の発展を見越し、函館に拠点を設け蝦夷開発に多大な貢献をした。1801年には33歳にして、国後航路の発見や択捉島開拓の功によって幕府から「蝦夷地常雇船頭」に任じられ、苗字帯刀も許される存在となった。 

 文春文庫だと全6巻のボリュームがあるが、先へ先へと読みたくなる傑作であり、暇な時間を利用するだけで10日もあれば読破できるはず。 

 その人間のすばらしさに感動するはずだが、
     ずば抜けた追求心・向上心である。海の場所ごとの潮の流れ、風向き、船の構造、島
 
   や陸の景色など航海に必要なことをつぶさに調べる。メモした風ではないが、肌でとことん覚えこむのだ・・・これらを航海技術や造船のイノベーションに生かす。千石船の時代に風波にも強い1400石「辰栄丸」という、美しさと優秀な機能を持った大型船作りもやってのける。 
     地方・地方の生活習慣、商いの仕方、商品の何をいつ、どの地方に持って行けば喜ば
  れるか、結果として儲かるかを、町をつぶさに見て回り、他人からも丹念に聞いて回   
 
 
  った。また謙虚さを欠き嘉兵衛を認めない人もいたが、評価してくれる人とは積極的 
      に交流し、教えも乞い、人脈を着々と作っていった・・・マーケットリサーチの徹底              と、マーケティング戦略の構築に連動。 
     たえず冷静に考え、本質をつかみ、社会の流れを正確につかみ、「社会貢献」を基準に将来の方向を決める。商品にしても、安さでなく品質の良さ、量目の正確さ、包装の適正に留意し信用を勝ち取る・・・社会に受けられるコンセプト、マーチャンダイジング(商品化政策)に連動。 
     自身の弟3人、途中からは恩人の堺屋嘉兵衛の息子4人も傘下にはいるが、他の乗組
 
 
  員を含め全員に自身の得た知識のすべてを伝授し資質を高め、さらに7人には個性
  に応じ、船頭、丘で販売等(回船問屋)を分担させ自立を促す・・・教育を伴った、
  適正な労務管理に連動。嘉兵衛自身は下働きの時から商品の売り買いの記帳も行っ
  てきたから、財務管理の資質も持った「商い全体を任せ得る有能な人材」が育ったと
  いえる。

 ➄ 最後は部下を思いやる、その人間性である。この思いやりはアイヌにまでおよび、こ
  れまで奴隷扱いしてきた松前藩のやり口を大転換し、漁法・漁具の改善にも尽力し、
  アイヌの生活を向上させた。1時ロシヤ船に囚われの身となり、オホーツクにわたる
  が、ロシア人司令官と必死で片言の会話をして、互いに心を許し合う関係を構築、日  
 
 
   露両国のある外交問題すら解決した。ロシア人指令官2人が残した記録(本
 
  にもなり、ヨーロッパ各国で発刊)においても、「高い人格の持ち主」と書かれ、鎖
  国時代の「日本人像」を大きく変えたほどである。  

 
 

 

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